VOL.176 [全酪新報 2015年7月20日]
長野県富士見町の五味英介さん(32歳)は、2013年度に日本ホルスタイン登録協会の都府県の検定成績優秀牛群で第1位を記録。その年の1日1頭当たり平均乳量は42キロで、所有牛の中には、2年型305日乳脂量で都府県1位、4・5年型365日乳量で都府県2位を記録する牛もいた。ここ数年間の年間出荷乳量は400トン前後で、年間1頭当たり乳量は1万1千キロの高能力な牛を揃えている。現在の経営規模は経産牛44頭で、搾乳牛は常時35〜40頭、育成牛は30頭ほど。牧草18ヘクタールとデントコーン6ヘクタールを作付ている。
五味さんは酪農学園大学卒業後、1年間アメリカで実習した後、06年に就農した。当時の乳量は日量18キロだったが、やがて30キロを超えた。そして、8年前にセイワの担当者から勧められたビタコーゲンを給与すると、さらに乳量が増加。五味さんは「ビタコーゲンの給与を始めてから乳量が増えたことを実感した。ルーメン内の微生物に給与する感じで使っている。高泌乳な牛群になると、ビタコーゲンがなければ乳量が維持できない。特に、冬は寒くて水が冷たいから、発酵に時間がかかる。すると、微生物が減少して乳量も減ってしまう。胃の中のバランスを保ち、ベストな状態に持っていくためには必要だ。分娩後のスタートを安定させることが大きな目的でもある」と高く評価している。
給与を始めてからは、飼養頭数は変わらず8年連続で増産を達成した。乳量は40キロを超え、ついに13年には42キロまで増加。都府県1位を獲得した。
しかし、その年、五味さんのお祖父さんの介護が必要になり、家族や親戚が交代で介護することになった。飼養管理は父・公義さん(64歳)と敏枝さん(56歳)と五味さんの3人で分担しているが、その頃は五味さんが夜遅くに仕事を終えて帰宅した後、お祖父さんの隣の部屋で寝る日々が続くなど、心身ともに厳しい日々が続いた。
そうなると当然、牛舎にいる時間が少なくなり、デントコーンの収穫時期は、朝と晩の搾乳時だけしか牛舎にいる時間を持てなくなる日もあり、牛の状態は悪化していった。
当時の飼養管理状況について五味さんは「ゆっくりやらなければらない作業も早くやらざるを得なかった。搾乳時間は不規則で、給餌前に搾ったこともあった。牛のホルモンが分泌されるタイミングは決まっているわけだから、それは牛にとっては迷惑なこと。例えて言うならば、食事の前に献血するようなもので、ダメージが大きかったはず。その中でもよく踏ん張ってくれた」と当時の心境を語った。
その後、お祖父さんは他界し、葬儀・四十九日の法要が終わると、ようやく牛を見る時間を持てるようになった。「40キロ以上搾っていたが、ガタガタっと牛の調子が崩れていた。けれども、予想していたよりも乳量は落ちていなかった。その状態に踏みとどまらせていくれたのは、ビタコーゲンのおかげ。給与していなければ、もっと簡単に落ちていたはず。本当に助かった」と五味さんは新たな効果を実感した。
さらに、その後の牛群立て直しにも大きな効果を発揮。現在はピーク時に日量60キロ以上出る牛が10頭以上、70キロ出す牛も1頭いる。「ホルモンの状態を意識すると、牛の飼い方やビタコーゲンの使い方の目的が変わってくる。ホルモンの状態を崩さない素の素のようなもの。先を見越すと、絶対に必要なものだと気付く。徐々に積み重ねてきた成果が出てきたのかな」と手応えを感じている。
「高校(とわの森三愛高校)時代に牛好きな友人と話しをしているうちに、自然と勉強していた」と話す五味さんは、大の改良好き。種雄牛の選択は、評価ではなく、自分でペディグリーを調べて決める。「この地でベストの牛を作ることが目標。簡単ではないけど」と苦笑する。10月の北海道全共にも意欲を見せるが、大変な時期を経験したこともあり「乳量が増えていくうちに、求めるものやいい牛という概念が変わってきた」と話す。
その上で今後については「ショウに出すための牛ではなく、手がかからずに食い込みが良く、いっぱい乳が出る低コスト・ハイパフォーマンスの牛を多く作り、飼いやすい牛を揃えたい」と安定的かつ高泌乳な牛群作りに意欲を見せている。